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【遙か ハンセン病隔離100年】(2)差別と偏見今もなお

http://sankei.jp.msn.com/life/body/091031/bdy0910312222001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/091031/bdy0910312222001-n2.htm

 今年生誕100年という、ハンセン病療養所と同じ年数を刻んだ松本清張のベストセラー小説「砂の器」。大臣の娘と婚約し将来を嘱望された天才作曲家が、ハンセン病の父を持っていたということを暴露されたくないため、連続殺人を犯すストーリーだ。

 「忌まわしい父」「因業な病気」とまで表現されているところに、この病気が持つ根深い偏見が投射されている。

 清張がこの小説を描いたのは昭和35~36年。当時はまだ、「無らい県運動」という“患者狩り運動”が残っていた。地域にハンセン病患者がいないことを誇り、隠れて暮らす患者を警察に密告したり、患者の家に印を付けたりするのだ。

 昭和初期に始まったこの運動は徹底的に全国に広がり、ハンセン病が恐ろしい伝染病であるという誤解を国民に根付かせた。そればかりか、患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在である、という迷信を定着させる原因となった。

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 「この病気になったら、神仏にすがらないと他に道がないといわれてね」。ハンセン病療養所の邑久光明園(岡山市瀬戸内市)に住む宮川清子さん(82)は18歳のときに発病。まゆ毛が抜け出した。

 「やはりショックで自殺しようという気持ちが先に立って。母親がそれを感じたのか、ずっと一緒に寝るようになりました」

 元患者のほとんどが、発病したときの状況を「絶望」と表現する。有効な治療方法がなく、不治の病とされただけでなく、外見上の特徴から穢(けが)れ思想を背景とした偏見や差別が絶望の理由だ。

 宮川さんは、家族が受けた偏見について当初は何も聞かされなかった。病気が回復し外出が可能になったとき、母親が昔のことをぽつぽつと教えてくれた。

 その話に宮川さんは愕然(がくぜん)とした。通っていた学校は校舎を消毒され、姉は家族が病気持ちという理由だけで結婚話が破談になっていた。

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 大島青松園(高松市庵治町)に住む男性(82)は、病で垂れ下がった唇に足の腱を取って入れる手術を施した。「体に結節ができて腐敗して苦しんで死んでいく人を見てきた。そんな人に比べれば僕はましなもんです」。

 しかし病が治っても、外見上の痕跡は今も偏見や差別を生んでしまう。

 熊本県・黒川温泉のホテルが平成15年11月、療養所の入所者の宿泊を「ほかの宿泊客に迷惑がかかる」として拒否した事件は記憶に新しい。ホテル側がホームページに「宿泊拒否はホテル業として当然の判断」と主張したことも騒ぎに拍車をかけた。

 後に当時の社長らが旅館業法違反で有罪判決を受けたものの、入所者が受けた衝撃は大きい。

 男性は「いまだにそんな扱いをされるのかと驚きました。この顔で外へ出るのは、やはり怖いです」と嘆いた。
by mo_gu_sa | 2009-10-31 22:20 | その他


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