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季語持つ別府誇りに 冊子「湯治船」を作製

http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_125436113204.html季語持つ別府誇りに 冊子「湯治船」を作製_e0113829_23364594.jpg

 終戦後、別府市に暮らした俳人・秋吉良聞(りょうぶん)、方子(かたこ)夫婦が残した俳句や写真、手紙などを手掛かりに、孫の秋吉收(おさむ)さん(58)=同市南町、歯科医=が冊子「湯治船」を作製した。「『湯治舟』は別府から生まれた季語。別府に住む者としてどうしても語り継ぎたい」と、2007年に作った冊子「虚子庵椿―別府の俳人 秋吉良聞と方子」を改訂し、湯治舟に関する資料などを加えた。

 医師だった良聞(1890~1974年)は現・宇佐市生まれ。茶道家で俳人の方子の影響で俳句を始め、高浜虚子、高野素十の指導を受けた。虚子が「良聞居」と名付けた別府市北浜の邸宅に暮らした。
 「湯治舟」は春の季語。良聞ら別府の医師を中心としたホトトギス派の句会「土筆(つくし)会」が生みだし、1934年の虚子編「新歳時記」に季語として採録された。
 冊子によると、当時、持ち舟を波止場につないで舟から温泉に通い、湯治をする人々がいた。湯治舟はその舟のこと。春の別府の波止場には100隻近くの湯治舟が並んでいたこともあり、風物詩のようにとらえられていたという。
 冊子はB5判27ページ。夫婦が深くかかわりを持った句集「湯治船」に使われた虚子直筆の題字を使用。湯治舟に関する話や句、夫婦や別府俳壇などについて記している。
 良聞居は夫婦が暮らしていたころのまま、收さんが別荘として使用している。虚子が書いた「良聞居」の額やびょうぶの句などがあり、夫婦や仲間たちが句会や茶会を開いていたころの面影が残っている。
 收さんは「季語を持つ全国唯一の温泉文化都市として、別府に驚き、誇りに思う」と話している。問い合わせは收さん(TEL0977・21・2803)へ。

【写真】冊子「湯治船」を作製した秋吉良聞の孫・收さん。2年前の冊子を改訂し新たな資料を加筆
by mo_gu_sa | 2009-10-01 10:35 | 大分


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