http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090609ddlk27040462000c.html
◇織田作好みの風情、小説にも 「ビリケンさん」と言えば、幸福の神様として親しまれ、言わずと知れた通天閣(大阪市浪速区)の名物だ。そのビリケンさんが日本有数の温泉街・別府(大分県)にもいるという。つながりを探ってみると、大阪生まれの小説家・織田作之助(1913~47)の別府への思い入れにたどりついた。 約30年前からJR別府駅前の通りに店を構える「食事処ビリケン」。店頭には通天閣のものとは違った顔のビリケンさんが開店当初から鎮座している。頭がとんがっておらず、鼻も大きい。同店専務の生駒一三さん(61)は「うちのビリケンさんは創業者の高安友吉社長がデザインしました。別府のシンボルになるような店になって、繁盛してほしいと願って店名を付けた」と解説する。 別府のビリケンさんのルーツは昭和初期までさかのぼるという。街歩きなどの活動をしている市民団体「別府八湯竹瓦倶楽部」の代表世話人、河村建一さん(71)は「大正時代に大阪と別府を結ぶ航路ができてから、多くの大阪文化が別府に流入しました。その一つが当時、別府の歓楽街・流川通り沿いにあった『カフェ・ビリケン』」と語る。カフェ・ビリケンは1階が食堂、2階がキャバレー、3階がダンスホールのモダンな建物で、店頭にビリケンさんが座っていた。この時代、大阪で修業を積んだ人が別府で旅館を興したりした。 大阪の庶民生活を細やかに描いた織田作之助が、1941年に発表した「雪の夜」にもカフェ・ビリケンが登場する。 「雪の下は都会めかしたアスファルトで、その上を昼間は走る亀ノ井バスの女車掌が言うとおり『別府の道頓堀でございます』から、土産物屋、洋品屋、飲食店など殆(ほと)んど軒並みに皎(こう)々と明るかった。(中略)カフェ・ピリケンの前にひとり、易者が出ていた」 織田作之助ファンが集う大阪の市民グループ「オダサク倶楽部」主宰の井村身恒(みつね)さん(56)は「別府は織田にとって第2の古里」と話す。34年に実姉の山市千代夫妻(代表作「夫婦善哉」のモデルといわれる)が別府に移り住んでから、織田もたびたび訪れたという。「当時の別府は温泉街独特の街並みがあり、織田の好んだ大阪の路地裏に通じるものがあったのでは」。井村さんは、織田が別府を愛した理由を推測する。 2013年は織田作之助の生誕100周年。オダサク倶楽部は別府にも支部を持ち、別府の温泉を大阪に運んで、大阪・法善寺の水掛け地蔵を「お湯掛け地蔵」にするという計画を考えている。 井村さんは「足湯も設けて、多くの人に楽しんでほしい。大阪の良さは人と人の濃密な関係。その良さが失われている今こそ、織田作之助を読み返す時です。生誕100周年に向けて映画祭や音楽祭などで大阪を元気づけたい」と言う。 ところで別府の初代ビリケンさんは、カフェ・ビリケンが閉店した今は行方不明。河村さんや井村さんは、その所在を確かめたいと願う。【広沢まゆみ】
by mo_gu_sa
| 2009-06-09 00:00
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