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白洲次郎 哲学の源流 父文平氏、晩年の洋館跡 大分・竹田で確認 市「新たな観光資源に」

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 戦後復興に尽力し、連合国軍総司令部(GHQ)に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎氏(1902-85)。その父文平(ふみひら)氏が35年に他界するまでの晩年を過ごした大分県竹田市荻町の洋館跡地が、同市の調査で特定された。市は市民の証言や写真を基に、在りし日の建物や次郎氏のダンディズムに多大な影響を与えた文平氏の暮らしぶりを検証。埋もれた現代史に光を当て、観光資源として活用していく方針だ。

 竹田市によると、2月に放映が始まったNHKドラマ「白洲次郎」(全3回、第3回は8月に放映予定)で「文平は大分県竹田市荻町で亡くなった」と紹介され、これをきっかけに市観光課などに問い合わせが殺到。市民に情報提供を呼び掛けたところ、文平氏と親交があった向井隆夫さん(92)宅から証言と写真が寄せられ、洋館の存在が浮かび上がった。

 洋館跡地は、荻町中心部から西へ約2キロの熊本との県境近く。建物は約20年前に取り壊され、現在は建て替わった家に向井さん一家が住む。文平氏が亡くなった翌年に、遺族から隆夫さんの亡父が家屋を譲り受けた。その際の覚書も残る。

 隆夫さんの長男雄二郎さん(57)によると、洋館は当時珍しかった大きな窓や暖炉、川の水をポンプでくみ上げ生活用水にする浄水設備を備えていた。薪で沸かした湯が流れ込み、温泉のようだったという。ほとんどがじゅうたんを敷き詰めた洋室で調度品をそろえ、水洗トイレもあった。5頭の馬と狩猟用に数匹の猟犬も飼っていたという。

 文平氏は、士族の長男として1869年に兵庫県で生まれた。東京の築地大学校(現明治学院大)に学び、ハーバード大(米)やボン大(独)に留学。神戸を拠点に綿貿易で財をなして「白洲将軍」と称された。昭和初期の金融恐慌で事業が破綻(たん)し、知人の勧めで荻町に移り住んだとされる。

 息子の次郎氏に通じる人生哲学は移住後も発揮され、養蚕業を興して生糸の生産を始めた。文平氏の生前から離れに住まい、事業を手伝った隆夫さんは「文平さんはベッドの下に自分の棺おけを用意していた」「次郎さんがジープに似た大きな車で文平さんの遺体を引き取りにきた」と記憶しているという。

 市は貴重な史実を重視。首藤勝次市長は「建物はないが、観光名所にしたい」と話している。

【写真】(左)文平氏が晩年を過ごした竹田市荻町の洋館(1930年代)
     (右)文平氏の洋館にあった暖炉の前で語らう人々

=2009/06/05付 西日本新聞朝刊=
by mo_gu_sa | 2009-06-05 00:10 | 大分


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